40代無職・発達障害のおじさんのただの戯言

Facebookでは長文になりやすいことをタラタラ述べていきます

ちょっとした経歴を 社会人編1

こんにちは。あっきぃです。

 

前回大学中退まで書いたと思います。これからは社会人編です。

 

大学7年の人間を取るところなんた無いだろうと思い、派遣社員をすることにしました。登録して面談をするものの2社落ちました。3社目に拾ってもらい、携帯電話のキャリアショップ・代理店に5年勤めました。採用理由が面白い子だったからでした。面接してくれた副店長に感謝です。ちなみに一番長い勤務実績です。でも正社員にはなれませんでした。料金コンサルティング・販売・故障受付・店頭フロアマネージャーが主業務でやりました。故障受付が一番多かったですかね。副業務として販売促進・在庫管理をしてました。在庫管理が1番長くて入社からほとんどの期間、在庫管理に関わってました。正社員じゃなかったので発注はできなかったのですが、他店との在庫の融通の駆け引きなどはいい思い出です。後輩が管理職してるとこならいけるだろうなど色々考えを巡らせてましたね。

また従業員同士が仲がいいのも特徴でした。終わるのが遅くてほとんどが飲み会でしたがw  自分は飲めない方ですが雰囲気が好きで、参加率も高かった為よく行ってましたね。誘うこともありましたが、主に誘われる側でした。そのせいか分かりませんが、自分がその職場を退職する事になった時、送別会に50名以上参加してくれました。自分も人の送別会はほぼ確実に参加していたので分かるのですがここまで人数の多い送別会は珍しかったと思います。もちろん自分の店だけでなく他店からも来てくれました。もっと早く言ってくれれば行ったのにと言ってくれた人も大勢いました。今でも思い出すと涙腺が緩む出来事でした。

 

実はこの携帯屋時代に東日本大震災があり、自分も29になるところでした。30になるときって人生考えるって言いますよね。まさにその口です。携帯電話業界、特に販売店は女性が多く、管理職も女性が多かったです。その上ママさん社員が多いんです。産休・育休当たり前の世界です。復帰される方もとても多く、保育所に子どもを預けて時短勤務をしている方も多くいました。その方々を見て、子どもが好きだってことと、保護者を支えたいという気持ちが生まれました。そこで見つけたのが離職者等再就職訓練(正確では無いw)の長期コースにあった、保育士コースです。実はこれ失業保険もらってる人なら訓練期間中、支給継続・交通費支給のすごいコース。介護福祉士と悩みましたが子どもと関わりたいという気持ちから、保育士コースへ。ちなみに行ったのが普通の短大なので、学費ゼロ。体操服や、教科書、内ばき程度の出費しかかかりません。実はこの制度のおかげで自分は高卒から短大卒になりました。今年はもう終わってしまったかも知れませんが、だいたい毎年やってますし、千葉県・東京都は介護福祉士と保育士のコースはありますので、お金がないけどこの資格欲しい、仕事は辞めてもいいって方にはおすすめです。ただし2年間かかるのでそこは覚悟してください。もう1パターンありますが、似た制度ですがよくは知らないので割愛します。

 

保育士になるには保育所社会福祉事業所、そしてそのどちらかの3種類の施設で実習します。自分は保育所10日・知的障害者入所施設10日・保育所20日だったかな。その実習先で知的障害者の支援の面白さを知り、保育所ではなく障害者福祉の道に進むのです。

 

実習先の施設が丁度就職フェアに来てて、挨拶しとかなきゃと思い訪問します。社交辞令だとは思いましたが、もうすぐ試験あるから受ける?と聞かれ、社交辞令を無視し応募し、試験を受け、8月に内定をもらいました。保育所の就職活動期間が実習後に多いことから、実習終了前に内定取るのは珍しいパターンでした。母校のほとんどの学生が保育士または幼稚園教諭になるので。子どものことは知っておきたいと最後の実習に臨みましたが、まあきつく評価も低かったです。まあそれは仕方のない事。だってできなかった事だらけだし、指導保育士から見たら、準備不足と思われてしまいましたからね。3回目の実習の不甲斐なさから、もう実習というものはしたくねーぞーと思うようになりましたw

 

また長くなりましたね。今度は障害者施設編となるかな。

ありがとうございました

 

 

ちょっとした経歴を 3

こんばんは。あっきぃです。

 

 今日は歯医者の予約を飛ばしてしまい、次回自分で日にちを決めて予約することになりました。整骨院も同様です。規則正しい生活が出来るのが理想ですが、まずは約束・予約をしっかり守れるようにならんといけないですね。これは服薬にも関わってくる問題で、きちんと時間をコントロールできないと薬飲めないんですよ。服用時間自由ならいいですけど、通常の薬って飲んだあと次の服用まで時間を空けなきゃならないでしょう。起きる時間がおかしくなると、最初の薬の服用時間がおかしくなりどんどんズレてく。そして最後の薬飲む時間がとんでもなくなってくる。その為怖くて服用しないこともあります。しかしそれは症状を悪化させる原因でしかないんですけどね。悪循環です。

 

 まあ話が飛びまくっておりますねーw ですが今の自分の悩みの大きなところです。

 

 本題に入ってまたダラダラ長いおじさんの経歴を書いていこうと思います。

 大学は文学部の人文学科というところに入りました。前回の記事でも書いた先生のようになりたくて、教育学部・教育学科と悩んだんですが、最終的には歴史学を学べて、中学社会・高校地理歴史・高校公民の教職免許が取得できるところを受験校に選びました。そひsて奇跡的に入学します。

 

 同じ学部には同じ高校からの人間はいなかったのですが、他学部になんと仲良くしていた友達が入学していました。2人とももっと偏差値の高い学校を志望していたので驚きました。そのおかげか、少し気が楽になって生活してました。ただ学部が違うこともありなかなか会えないこともしばしば。一人で過ごすことも多かったです。サークル勧誘週間だったのに声もかからない始末。これは寂しいですよねー。ですが運よく最終日に部員確保に追い込みをかけていたサークルに声をかけられました。もう誰でもいいから反応する人に声をかけようっていう作戦ですよね。見事に引っかかりましたw そしてその日が新歓飲み会の日。まあ説得されて、そのサークルに入部しました。ちなみに男声合唱団です。男性ではなく男声なので要注意w なおその合唱団には大学4年の終わりまでいました。大学卒業と書かなかった理由は後述します。

 

 中高は男女別学。男女とも受け入れるけどクラスは別だよという世界にいました。一部授業や特進クラスなんかは共学でしたが。その為同性だけで過ごす楽さを知っちゃってるんですよね。男声合唱団は文字の通り、歌う団員は男だけ。そう中高と同じ状況なんです。禅宗の僧侶が作った団なので、規則には厳しく上下関係もありましたが、自分の頃はだいぶ緩くなってきましたし、先輩たちは優しく厳しく指導してくれました。自分もそうしようとしましたが出来ませんでしたけど。ですが基本的には優しく、しかし厳しくするところでは厳しくするという気持ちは持ってました。同期がこれをみたら、「よくお前がそれを言えたなw」と大爆笑されそうですが。残念ながら自分の連絡不精のせいで同期とは連絡がほぼ途切れましたが、Facebookで偶然先輩と後輩と繋がり、去年だったかコロナがいっとき治った時に、先輩が経営されているブックカフェにお邪魔して飲み会をしました。オンラインで10年ぶりくらいに会う後輩もおり楽しかったことを覚えています。

 男声合唱時代は主に週3回・1回3時間、年末の定期演奏会に向けて練習する日々でした。春・新歓・夏・秋合宿と合宿もし、共同生活もしました。午前・午後・夕食後と1日9時間練習してました。そのも自主練習する毎日でした。自分は練習で体力無くなってできなくなることを心配し、自主練習せずに、消灯時間には早々に寝た口ですが。

 

 先ほど大学4年まで男声合唱を続けたとありますが、ここに今考えると発達障害が関わってくるのです。サークルにのめり込み学業との両立ができず、ほとんど単位が取れなかったのです。複数の予定をコントロールできず、サークルを生活の中心に置いてしまったが為、授業には出す、サークルだけ出る始末。まあ同期に置いてかれました。

 

 ダラダラ続けるのは嫌だったので同期と卒団し、学業に勤しもうとしますが、生活するためのバイトに追われるのと、大学の授業の受け方がわからず、理解はできるけど、知識の系統化ができず、なかなか講義に足が運ばなくなり、大学7年の前期の成績を見て卒業できない事が確定したので、大学を中退しました。大学は中退しましたけど、今でも歴史学は好きです。

 

 長くなったので今回はここまでにします。ここからは社会人編に入ってきます。今日いないと思いますがもうしばらくお付き合いください。

ちょっとした経歴を 2

またの機会にと言ってすぐの投稿です。ちょっと長いかなって感じたので。

 

高二で世界史の先生に出会った所からですね。その先生は非常勤講師の先生でした。まだ若い女性でおそらくは教育学ではなく史学を専攻されてたであろう方。高二の1学期はルネサンスからはじまったのですが、面食らう出来事が。イタリア、フィレンツェにある有名な大聖堂。知ってる方も多いかと思います。花のサンタマリア大聖堂です。だいたいの先生はこう教えると思います。ですがその先生、なんとサンタ・マリア・デル・フィオーレって教えたんです。もちろん間違いじゃないので問題ないんですが。その時この先生は高校の講師じゃ収まるタチじゃないと感じました。中国史の授業の時も、ごめん私専攻じゃないから最低限しかできないわ、と宣言されるほど。また母校ではプリント(レジュメとかお洒落に言ってましたがw)で授業するのですが、だいたいの先生がワークのコピーが多い、高三生だけ自作受験用プリント作る先生が多い中、PCも使うことがありましたが、主に手書きでプリント作ってました。簡潔だけどわかりやすいプリントでつい最近断捨離するまで持ってました。後述しますが、高二の途中でクラス替えに出くわすんですが、わざわざその先生のプリント貰いに行っていたくらいですから。そう長くなりましたがこのような先生になりたいと思ったのです。

 

先程触れましたが、到達度別クラス分けの為、偶然真面目に数学と生物受けてたらコース上位2名に入りました。非情ではありますが普通コースの上位2〜3名と進学クラスの下位2〜3名は学期途中でも入れ替えが発生します。その入れ替えに引っかかったのです。上位クラスにも友達は多少いましたので、生活の不安はなかったのですが、勉強のペースにやられました。そう進学クラスだから勉強してるものとして進んでくので、進度が早く得意な世界史以外はすぐに行き詰まりました。でも先にそのクラスにいた友人や新しくできた友人のおかげでなんとか、翌年も進学クラスに残ることができました。

 

なお高二でクラス替えしたばかりの時に修学旅行がありました。まあ友人もいて、その友人と合わせてグループになって行動しました。が大事件。修学旅行直前にインフルエンザの大流行。自分もかかりました。なんとか治して参加したんですが、まさかのぶり返し。長い思い出です。

 

高三はかなりのメンバーチェンジを経て、新たな生活が始まりましたが、実は友達と喋ってばっかだったイメージしかないんです。ろくに受験勉強しなかったし。大学進学するんですが、受験の時苦手な英語の長文問題でシロガネーゼってあったと思うんですがその問題が出たので、ろくに問題文見ずに答えました。世界史はおそらく90%以上獲得できてたと思いますし、国語は現代文は人並み、古文漢文はなんとなくで解いたんです。そしたら正規合格!他の大学全滅だったのに。もちろん進学しますが、楽しいことも辛いこともいっぱいな大学生活でした。

 

また長くなったので次の機会によろしくお願いします。

ちょっとした経歴なんかを。1

ブログをはじめて、まもなくなのでまだ熱量がある状態です。なので、ちょっとしたプロフィール紹介をしたいと思います。

 

まあタイトル通り40代無職発達障害のおじさんです。

 

小学校の時母親に言われるまま、中学受験しました。これは結果的にはいい方向に進んでいきました。もしあの学校に行ってなければもしかしたら中卒で働いていたかもしれません。中卒を馬鹿にするつもりはありません。職人さんなど義務教育終わったら、働くというか修行して技術を身につけて活躍してる人何人も知ってますから。

 

中高一貫校だった為、内部試験だけで高校に進学。中学の担任に英語科に行くと思われていたくらい、5教科の中では英語はそれなりの成績でしたが、実は英国人教諭の授業が好きでそのテストが底上げしてくれたので、いい成績だっただけで、実は言うほど得意教科ではなかったんです。嫌いではなかったけど。なので普通科に進学します。到達度別と言えば聞こえはいいですが、純粋に成績順でコースが割り振られる学校でした。

 

高一では普通のコースに所属。到達度別の名の通り、英語と数学はさらに細かくクラス分けされました。まあそこでも英国人教諭の授業が底上げをしてくれたおかげで、英語はそこそこに。高一では歴史が好きになり、歴史の先生になる夢を持ちました。これは大学進学までずっと持ってました。日本史と世界史があり、両方受けてました。成績は日本史の方が良かったのですが、先生が合わなくて、翌年の選択では世界史をとりました。今考えてみると、同じ先生に当たる可能性だってあった訳なんですが、そんな事考えもしませんでした。何より、その先生本来は政治経済がメインの先生だったので当たる可能性はないだろうと勝手な予想をしていました。

 

高二も普通のコースになりましたが、文系理系と分かれました。社会の先生になりたかった自分はもちろん文系。そこであった世界史の先生に強い影響を受けました。そこからは次の機会にお願いします。おそらくすぐだけど。

ブログはじめてみました。

初めまして。あっきぃと言います。

 

40代にもなってこんなニックネームと思われるでしょうが、10代の頃から使う事が多かったニックネームなので、愛着があって今回も使用しました。

 

このブログは40代の発達障害ADHDASD)と精神科で言われ、二次障害で躁うつ病(今は双極性障害と言うそうですがI型かII型は不明)の男性が、 Facebookに投稿する際に長文になってしまうので、友人に迷惑をかけない為の対策の為に作ったブログです。何か有益な情報を発信する訳ではないので、情報を求めてる方には、申し訳ないですがお役に立てそうにはないです。

 

更新頻度もまちまちで、Twitterも個人用と発達障害情報収集用アカウントでは更新頻度が異なるくらいです。飽きっぽさや気分の上下、家族の世話などがあり、更新頻度はどうなるかわかりませんが、やる気になってる今なら多少更新するかもしれません。

 

ブログ初心者ですがTwitterは9年続いてるので、ブログも続けられたらなと思います。

みなさんよろしくお願いします。