40代無職・発達障害のおじさんのただの戯言

Facebookでは長文になりやすいことをタラタラ述べていきます

お久しぶりです。

 このブログを開設し、予想通り動かないブログになりましたねー。

 

 

 前回から今日までの経過といえば、服薬ができなくなり、外に出られなくなり、重要な要件まで、こなすことができない状況まで行きました。その話をしたら、訪問看護師さんが、今見ている場で飲みましょうと言ってくれて、飲んだことにより、服薬ペースが基本的に改善(朝起きられず、夜起きた時は別ですが)しました。それがいい循環になり通院もきちんとできるようになりました。就労移行施設に通ってますが、体力面を考慮し毎日にはしてませんが、水曜・木曜・金曜と休まず通えてます。時折学習ペースを取り戻すため許可を貰い、通所日以外にも行く事もあるくらいです。

 

 

 今の悩みと言えば、躁状態になった時に起きる金銭管理ができないことによる買い物のし過ぎ。現金を使えばいいのですが、20年以上キャッシュレスで過ごしていたので、現金を使うことがないんですよね。病院くらい。コロナもあって世間にキャッシュレス化が進んで100円でもクレカ使うことに躊躇しなくなりましたからね。サインレスがほとんどで気楽だし。

 

 

 

 さっきメインのクレジット会社から請求確定の連絡きました。20万オーバーです。年金と失業保険のおかげでなんとか支払うめどは立ちそうですが、使わないように確保しておかないと。一応家計簿アプリと過去に買ったスキャナーのおかげで利用履歴は確認できてはいますが運用の参考になってませんね。幸いなのが支払っても多少は余るだけのお金があったことです。でもこんな綱渡り最近もしたばかりなんですよね。

 

 

 

 金銭管理に関して社会保険協議会の金銭管理も考えましたが、相談支援専門員さんと話して自分には合ってないだろうとの結果。まあ足掻きではありますが、自分の口座なら何回でも振込無料という銀行の口座を持っているので、基本的のお金をその口座に集中させ、カードを使ったら引き落とされる口座に振り込むという方法で、家計簿アプリと銀行のアプリを使って、お金を使っているんだという意識だけでも持とうと努力しています。

 

 

 

 何度も経験して悔いて懲りているのに、躁状態の買い物依存止まらないんですよね。精神科の先生には話していますが、具体的な解消案は出ず。年齢も年齢ですし、この文章見てわかる通りしっかりした貯金はしてませんし、できません。運よく別用途のために貯めてたお金を流用してやり過ごすんです。今は少額投資が浸透してきましたが、まず自分は100万円ためるところからですね。ちなみに1年間で100万円貯めようとすると割り切れないのですが、約84,000円です。さあ頑張るか!

なんだかんだ出かけてます

こんにちは。あっきぃです。

 

ちなみにこの文章は2月17日に作ったものです。ずいぶん間が開いてしまったのはFacebookでまた長文投稿しちゃってたからです。なので随分過去の話になりますのでご了承下さい。

 

火曜日に精神科へ診察に、木曜日にハローワークに失業認定に行ってきました。

実は有休消化の為、実質9月頭で退職した後、これまでのストレスからの解放か、うつ状態の悪化かわかりませんが、精神状態も含め無気力になり、11月終わりまでほとんどベッド上で過ごし、YouTubeやサブスクでの動画鑑賞、電子書籍の爆買いをしていました。その為、薬も底尽きていたのですが、通院できずじまいでした。また前の記事で書いたのですが、前職場が正式退職日である9月末日、つまり翌日の10月1日から10日前後に送って来なくてはいけない離職票雇用保険被雇用者証、健康保険離脱届等を11月末に送ってきました。届いたらすぐにハローワークや役所に提出しないといけないですが、いくら待てども届かないわけです。ただ自分も保険証を返送し忘れていたこともあってそれも要因かと思いましたが、離職票は健康保険とは関係ないですし、保険証の返却も共済のホームページを見たら返却を前提として、紛失扱いで対応可能とありました。だから出来たはずなのにしてなかったんです。今回は無職だから良かったものの、次が決まってたらどうするつもりだったんだと思いますね。本来であれば人事が規定通り処理すべきところでしょうが、督促をしなかった自分にも非があります。まあこれらのことが全然出来ないほど、無気力状態になりました。送って来ないから書類提出にも行かないわけですね。また以前電子タバコの喫煙者だったのですが、自宅での喫煙は紙タバコ時代から外でするようにしていました。しかし8月に入り急に禁煙が成功し、玄関から外に出ることも無くなってしまいました。タバコを吸ってたら吸う時に玄関外に出たでしょうし、なくなれば買いに行っていたでしょう。それが無くなったせいもあり、9〜11月は玄関から外に出ることが1、2度しかなく、それも自発的にではなく、今お願いしている訪問看護の方に体操をする為に出ましょうと言われて出たくらいですから。

 

このまま引きこもりかなと思っていた矢先、なぜか急に部屋の模様替えをしたくなりました。現在実家暮らしですが、主にいる部屋とかつて使っていて今は使ってない部屋の2部屋が自分にはあてがわれています。使われてない部屋にあった家具を今いる部屋に移動する活力が急に出てきたのです。原因はわかりませんが睡眠が良くなく本能的にベッドで寝たいと思ったからかもしれません。1人でベッドを分解し、組み立て、マットレスと共に移動しました。カラーボックス4個、プラ引き出し1個、カインズオリジナルのプラケース8個、洋服をかけるラックを一気にではないですが移動しました。そして金銭管理のできなさ加減爆発です。

 

多少増やす分にはありだったのしょうが、買いまくりました。IKEAでカゴを10個、白いプラの箱を5個、椅子をオットマン付きで1脚、積み重ねるための台を6個、小物入れ1個、キャスター付きワゴン2台。なおIKEAでは椅子は買わずにオットマンだけ買う予定でした。しかし場所がわからず、閉店時間も過ぎていたことから、スタッフに椅子の足はどこですかと聞きました。オットマンという言葉が出なかったのです。そうしたらよく確認しなかった私が悪いのですが、椅子自体をもう一脚買ってしまっていたのです。元々椅子は持っていたので1人で過ごす部屋同じ椅子が2脚あることになってしまいました。まあどっかで使うだろうと返品はしませんでした。後日オットマンも購入に行きました。本来の目的はオットマンですからね。次にセリアでプラ籠を15個、ニトリでプラの箱を20個、コルク調タイルカーペット、ベッドマット、ボックスシーツ、冬用シーツ、いびきをかく人向け枕とカバー、日テレポシュレで毛布がわりになる布団カバー2枚セット、加湿器2台(一台家族から借りてたものを壊してしまったので自分用と合わせて)、ペンダントライト1個(これは35年もので故障していた為)、Ankerの充電器、パジャマ2枚、ヨドバシでソニッケアーとティファールのケトルと低周波治療器、コストコAirPods pro2とAirTag4個、衣服やジップロック、最後にマウスコンピューターのノートパソコン1台。反動ですぎです。全部カード払い。前職の給料を2ヶ月何も使ってなかったのもあり、貯金と合わせてで一部は支払い終了してます。まだ50万位支払いが残ってますが、虎の子の貯金で33万までは確保しました。今月の失業手当と立て替えている電気代などの公共料金が入ってきて、ギリギリ間に合う感じです。なお物欲はだいぶ収まりましたが、以前もあったんですよ。自分の身の丈を超えてものを購入してしまう事。

 

過剰購入が起こるきっかけはわかってます。ストレスです。買い物依存症をよく知りませんが、買うことが快感になっていってしまうんです。しかしながら買って使ってないものはありません。何らかの形で使用しています。買うことだけで満足してしてしまうのとは違いますが、一種の買い物依存症ですね。

 

これから皮膚科やら歯医者やら精神科やら眼科やら整骨院やら、メンテにも金がかかるっていうのにそれに当てる金をどうやって捻出しようか…

 

こんなことを書いてますが、木曜もハローワークの帰りコメダ珈琲店行ってるんですよね。そこで忘れ物したぽいし。コーヒー飲めないんですが、あそこのフードメニューが好きで、ホットミルクかミルクコーヒーとフードメニュー頼んじゃうんですよね。今日忘れ物があそこのあったとしたらまた食べていることでしょう。

 

また木曜日にはお金を使わない為にもと地元の図書館に行ってきました。就職のための自己分析の勉強をしようと試みましたが、日差しが気持ちよく、温度も最適で目を開けることができませんでした。要は寝に行ったってことですね。本当に気持ちよかったw でも勉強はしませんでしたが、2冊ほど本は読んだのでご了承ください。

 

実は今日も出かけるつもりです。金の国水の国という映画を見に行きます。原作を持っていてとてもよかったので手元に残してあるのですが、Twitterで映画化されるのを知りもに行こうと思っていたんです。でも1月27日公開の作品。近所に映画館は2つありますが、ともに1日1上映のみ。なのでお金がないのはわかっていても、ずっと楽しみにしていた映画だったので見に行きます。

 

こんな無駄遣い男な自分ですが、国民健康保険税国民年金は未納してません。給料は安かったので所得税も住民税も非課税ですが、一応自治体に払うものは払ってます。もらう方が多いけどw

 

よく女性雑誌でいくら貯金しただの、おっさん向け雑誌でこんな転落をしたとかいう記事も目を通しています。女性雑誌の方はこんなのできたらいいなと思う程度ですが、おっさん雑誌は一歩間違えれば自分に降りかかってくる恐怖があります。おっさん雑誌は転落劇も多いですけど。本当に自戒の思いで見ています。本当に注意して生活しないと…

 

一部のミニマリストやインスタグラマーはノーマネーデーというものをしているようです。考え方によってはノーマネーで過ごせる日なんてないのにとひねくれた考えをしてしまう自分がいますが、要は前日に今日の分の食料を買ったり、ライフラインを使ったり、定期で公共交通機関にのったりしても支払いの時にお金を使っているからノーマネーというのでしょう。さっきも言いましたがひねくれてるなぁ。変なこだわりあるなぁ。まあ高shさの考えがノーマネーデーの概念でしょうから、今度自分も試してみたいと思います。

 

今回3000字突破してしまいました。毎度ながら長文申し訳ありません。ただこれを書くようになってFacebookへの長文投稿が減りました。みてくださった方、またダラダラと長いおじさんの駄文にお付き合いいただければ幸いです。ありがとうございました。

 

 

 

精神障害者保健福祉手帳・自立支援医療・障害厚生年金の更新について、発達障害者から見て思うこと。

こんばんは。あっきぃです。

 

今回の記事はあらかじめ申し上げますが、内容に責任は負いかねます。

 

発達障害者で精神障害者保健福祉手帳(以下手帳)・自立支援医療障害年金受給者が、基本2年に1度逃れられないものがあります。それは更新手続きです。身体障害者手帳は原則更新なしで改善が見られる場合のみ再判定あり。療育手帳所持者は再判定はありますが、子どもの頃は数年おき、大人になったら10年単位、さらに歳を重ねたら判定なしで継続。居住している県では初回申請に必要な場合がある(違う書類でも代用可能)とされてました。読み違えてたら申し訳ありません。

 

ですが精神障害者は改善の余地ありとされているので、2年に1度、診断書を持って市町村の障がいを管轄する部署に提出に行かなければなりません(管轄・発行は都道府県・政令指定都市)。うつ病適応障害など治りにくいですが、治る・または軽減する可能性のある精神障害者に更新があるのは納得のいくところです(でも2年は短いと思いますけどね)。

 

でも治ることのない発達障害者が精神障害者と同じカテゴリーで取り扱われているのはちょっときついです。もちろん手帳を返却すればいいだけの話ではありますが、障害者雇用など手帳を要する場面も多々あります。何より更新できついのは何かといえば…お金と手間です!

 

病院・医院によって診断書の値段は異なります。ちなみに自分のかかりつけは、年金用が22,000円、手帳更新用が11,000円でした。昔に比べて価格は上がりました。それだけ発行希望者が増えているということでしょう。自分は発達障害を2度目に診断してもらった年に、手帳・自立支援医療障害年金を一気に行なったので、更新も一気に来ます。時期もほぼ同時期なため、この間行った通院で33,000円診断書代で持ってかれました。必要経費とはいえ、きつい… 

 

また障害年金と書いていましたが私が受給しているのは障害厚生年金3級です。まだ働いてる時に初診日があって良かったところです。なければ障害基礎年金なので、もしかしたら受給できなかったかもしれません。自分は家族が病気で障害基礎年金を受給しており、受給まで大変な思いをしているのを知っていたので、申請は社会保険労務士の先生に頼みました。市内で障害年金やってるよと書いてある社労士も忙しいのか、つれなく断ってくる始末。偶然ネットで見つけた障害年金専門社労士と謳う先生のホームページを見つけ、連絡・契約となりました。ちなみに個人で営業されている先生です。ネットに出てくる大きいところではありません。お金はかかりますが、面倒くさい手続きを全部代行してくれるのは本当にありがたい。無職ならともかく、働いていたら年金事務所に通って、間違いを正され、また年金事務所に行くの繰り返しで数ヶ月休み返上になってしまいます。家族が手続きするならまだしも、障がいを持つ当人が知識もなくやるのは困難を極めます。結構な金額は発生します。自分のお願いしている社労士の先生は、今は値段が違いますが、更新のクライアントには基本、元の価格でやってくれていますので、合計7万弱(着手料+成功報酬)かかります。でも現状の困っている事を話して、書類作成してくれて(なお納得いかないところは変えてもらった事があります)、年金事務所に行って手続きしてくれる。時間と手間を考えたらこのくらいの額は納得して支払いましたね。今回もお願いしてます。でもクライアントの増加のせいか、以前より精度が落ち、雑になったかなと感じています。しかしTwitterで他の社労士の先生とやりとりする機会があり、初めから社労士に任せてくれたらよかったのにというケースや、初回の先生が一番いいという話も聞いたのでこれからもお願いしようと思います。先生も自分のペースの確保とかつてのクライアントの更新とで、新規受付は少なくしてます。新規受付終了している先生も多い中、ありがたい事です。

 

発達障害が現在の技術で治せない障がいであるならば、治る可能性のある精神障害ではなく、身体障害や知的障害と同様にして欲しいと自分は思っています。しかしながら子どもの発達障害は療育でかなり改善するケースもあります。状況が変わればそれに応じて、手帳の状況も変わっていく。それでいいと思います。しかし原則治らない状況にあるのならば、更新の必要はないと考えます。前述しましたが身体障害者手帳は改善の見込みがあれば再判定されます。そのようにならないものかと。診断書の金額もバカになりません。手帳や年金が必要ない発達障害者は、基本仕事を行う事ができ収入もきちんとある人が多いと聞きます。手帳や年金が必要だから申請しているのに、申請の為に、高額な支払いや面倒な手続きがわずか2年でくるのは治る可能性のかなり低い大人の発達障害者には酷ではないかと思っています。実はこれTwitterのTLで流れてきたツイートを見て共感したことから書いてます。

 

話は変わりますが自立支援医療のことです。発達障害者の診察代や薬代、3割負担だとバカになりません。高額な薬も多く、診察に1,200円程度、2週間分の薬に6,000円強、それが月2回となるとそれだけで月14,500円程度の出費になります。これは大きい。しかし6ヶ月以上同じ病院に通院して、診断書を書いてもらい、市町村に提出すると、指定した医療機関に限定されますが、3割負担が1割負担になります。そして収入に応じて上限もあり、それを越したら診察代・薬代はかからなくなります。もちろん指定された病院や薬局、訪問看護などの医療機関での医療に限定されますが。住民税が関連してくるので詳細はわからないですが、高い薬を使う発達障害者にとってしてみれば上限があること、収入に応じて上限額が下がることもあるというのは大変なメリットです。さらに言うと精神障害者福祉手帳と更新が同時申請だと診断書1枚でOKなケースもあります。

 

一気に金が吹っ飛んでくぜと思いながらも、メリットがないわけではないので、判断は人それぞれです。自分はメリットがあると思ったのでお金かかるなぁ…きついなぁ…と思いながらも全部申請しました。

 

さっきも書きましたが、判断は人それぞれです。デメリットもたくさんあります。自分で調べて必要なら利用する。必要ないなら使わない。それだけです。でももし使うなら使い倒してくださいね。

 

今回も長文失礼しました。ありがとうございました。間違い等もあるかと思いますので、まずは自分で調べてください。役所をはじめ公的な機関に問い合わせたり、公的機関のホームページを見るなどがおすすめです。改めて申し上げますがこの記事に関しての責任は負いかねます。

この歳の障害者の就職活動・障害者雇用について

こんばんは。あっきぃです。

 

以前も書いた様に、現在2社書類選考落ち。1校不合格。メンタルやられてます。この程度と思われがちですが、自分は社会に必要とされていないんだと、本気で落ち込んでしまうのです。

 

実は以前就労移行支援施設に通ってました。色々と学びましたが、最後にはほとんどPCの勉強ばかりしていた気がします。職員の方はいい人ばかりでしたが、独自に持ってくる職場が少なく、ハロワの求人紹介ばかりしてました。元は知的障害者の入所や作業を行なっていた事業所が母体。精神障害者の仕事の伝手はなかったかと。地域の支援センターを務める法人だったんですけど、それでもこの位かと思っていました。

 

しかし支援員さんはそこに甘んじてるわけではなく、外部のフェアを探したり、法人でフェアをしたりとなんらかの工夫をしていました。実際外部のフェアに行ったところ、前に働いていた会社が出展しており、二次面接までは通してもらえました。まあ内定は取れなかったんですけどね。

 

クローズドで働くことも考えています。障害者雇用は今少ないし。ハロワの職員さん曰く、もう少ししたら、もっと求人出てくるよとのこと。その言葉を信じて待ちながら、技術を磨くのもありかなとは思います。公共訓練は過去に通常の訓練を受講した事があるので、一般でもいけると思ってます。就労移行だとおそらくはオンラインでの講義になるので、一般の公共訓練の方が良いのかなと思うこともあります。そちらの方が種類も多いですしね。

 

障害者雇用は必要な制度だと思います。しかし障害者だからできないものと思われて仕事することはとても嫌です。子育て家庭の産休・育休、家族の介護休暇、時短勤務、それと同じ感覚であって欲しいです。そう働き方の一種でしかないんだと。特殊な働き方じゃないんだと。どの働き方に関しても、フルタイムの従業員と比べたら配慮が要ります。それと同じなんです。配慮の方法は千差万別。身体障害の人と知的障害の人と精神障害の人と発達障害の人では配慮が異なります。それも健常者と同じですよね。障害者相手は苦労するとか言いますけど、こっちから見たら何やってんだこいつ、非効率だなとか思う事もあるわけです。お互いが歩み寄れるラインを見つけ気持ちよく仕事がしたいですよね。

 

最後は支離滅裂になったかなと感じてますが、障害者雇用が障害者の働き方の全てではないと思ってもらえれば幸いです。

 

ありがとうございました。

 

 

ちょっとした経歴を 社会人編最終回

こんにちは。あっきぃです。

 

就職ではないんですが、志望してた学校から不合格通知が来てかなり凹んでいます。1か100になってしまうのが悩みの1つですが、今回も不合格通知に自己肯定感ダダ下がり。正直かなりきついです。こう言う時に認知行動療法を実践してたら違うのかもしれませんが、した事がないのでダイレクトに自己嫌悪に陥ります。後述しますが就労移行施設に行っていた仲間たちが長く勤務を続けられている話を聞くと、なんで自分は出来ないんだろうと思ってしまいます。職歴も最長5年、ここ最近は1年程度で辞めているので、書類選考で落とされるんですけどね。かつてはMOSの取得寸前までPCは使えていたのですが、1年以上触っていないと忘れますね。復習してかつてのレベル、むしろそれ以上の能力をつけないと厳しそうです。資格は持っているに越したことはありませんが、自分のキャリアに役立つものでありたいですね。自分の保育士資格なんてもう紙屑同然。役に立ちません。健常者ならまだ役に立ったのかもしれませんが、発達障害者には無用の長物。本来なら当事者が支援することでわかる事もあると思うんですけどね。そんなところはありません。

 

今回は就労移行支援施設を経由した障害者雇用のトライアル雇用での勤務についてです。某駅伝で有名な大学の病院に障害者枠で勤務しました。もちろんパート勤務です。トライアル雇用なので面接は必ずあるのですが、雇用の段階でちょっと変わってました。面接前から雇用しようと思っていると言われ、面接も雑談で終わり、就労移行支援施設の支援員と首を傾げてし舞いました。年を追うごとに発達障害が悪化しているのか、ここでもうまく行きませんでした。

 

いろんな部署で勤務しました。トライアルの段階もあるのか、1ヶ月単位で部署が変わり、途中からは契約の週5から週3に勤務を減らされました。その時の上司は事務部長だったので人を使うのが上手で、気分よく仕事ができましたが。その後週5勤務に戻るかわりに、1つ前の部署に再異動。車寄せでの誘導の仕事を言いつけられました。しかしこれがマルチタスクADHDの人間にとって苦手分野。一つ間違えば事故になり怪我人が出る恐れが出る可能性がありました。上司にマルチタスクで事故につながりかねないから難しい旨を伝えました。その後特性考慮の上で入館者の検温要員になりました。まあシングルタスクですが、たまに問い合わせがあると後ろが詰まるので、先に誘導したり、覚えていることは簡単に説明したりしました。雨の日は傘袋の着用を促す事もありました。単純でわかりやすい仕事でしたが、生活支援員の仕事の時の様に自分で考えて、動いていく仕事ではなかったので、非常にやりがいがなかったです。今までの仕事で一番やりがいがなかったです。人間関係もどんどん悪化していき、他部署の方の方が良い関係が作れたくらいでした。仕事中に幻聴が聞こえ出し、追い詰められていきました。

 

上司も就労定着の支援員も休職・退職を勧めてきました。その時にはもうやめる気は満々だったのですが、給料の関係で、9月まで勤務すると失業保険の額が上がることを認識してたので、そこまでは我慢しました。ホワイト法人だったので4月に20日の有休を支給してくれていた関係もあり、前年度の有給と合わせて約1ヶ月の有給を経て退職しました。まあ退職後10日以内に渡すはずの離職票を2ヶ月も送って来ず、こちらからの督促で送ってくるようなちょっと変わった職場でした。

 

無事離職票が来て失業保険の申請をして、現在に至ります。2社に応募して書類選考落ち。学校に志願したが不合格。ここからどうしようか。悩みどころです。現役の学生だって何十社も受けてやっと内定をもらえるくらいなので、手にろくな職のないおじさんが内定をもらうのは困難だと思ってます。違う就労移行支援施設で技術をつけるか、公共訓練で技術をつけるか。正直これを書いている段階では頭が真っ白です。なんとか自分を維持するために、ブログを書いてる状態です。さっきも書きましたが、本当にどうしよう。

 

こんな状態で混乱してる状況で今回は失礼します。ありがとうございました。

ちょっとした経歴を 社会人編3

こんにちは。あっきぃです。

 

今回は院内保育所の保育士になったお話をします。

 

離職後7ヶ月間無職でした。その間2つの院内保育所に応募しました。1つは隣の市の200床いかない、介護施設が充実した病院。そこは落ちました。もう1つは隣県の大型医療法人の病院の1つで、2病院・1介護施設・その他があり、そこは内定をもらいました。ですがこれが地獄の始まりなのです。

 

保育士って男性が少ないです。その保育所も男性保育士を受け入れるのが初めてでした。施設の作りも男性が働くことを前提にしてない作りでしたから。離職後発達障害の症状がおさまっていたのと、医師への不信感から通院をやめていました。クローズドでの就職です。保育士の資格を持っていたとはいえ、保育経験はないいわゆる新卒と同じ人間。実習成績も低かったので、他の先生の保育を見て急いで学んで、使えるようにならなくてはと思っていました。しかし甘かった。そこの保育所、自分の入職日に退職者1名、2ヶ月以内に退職者2名。正規職員でいる保育士は主任保育士と自分だけ。非正規の保育士も午前中に1人だけ。あとは夜勤対応専門の非常勤保育士が2名。あとは資格なしの保育補助が2名。終わったと思いましたね。途中から非常勤の保育士が1名、常勤の保育補助が1名はいたけれど正規に変わりなし。非正規の先生の保育からいろいろ学びましたし、フォローもたくさんしてくれましたが、常勤保育士が自分だけになることが多く、責任者になることがほとんどでした。何をするのか考えるのも自分、何かあった時判断するのも自分。主任保育士は休みなので相談する事も叶わない。非常勤の先生には相談しましたが最終決定は自分。ADHDマルチタスク要求。それもろくに仕事の指導を受けていない人間がする。恐ろしいですね。非常勤のベテラン先生に相談した時外に出て遊んでくるのが一番よと言われ、子どもの体力消費・遊具で遊んで楽しむ・お散歩を楽しむと言う考えのもと、晴れた日は毎日公園へ散歩へ行っていました。

 

まあここでも出たよ発達障害の特性。毎回公園に行って、計画していたことをしなきゃとは思いつつも出来ない。今考えれば、制作の日を前もって決めておいてその日は外に出ないようにすればよかったのにしなかったんですね。また保育所って季節の装飾があるじゃないですか。主任保育士は負担軽減のため、保育雑誌のものを使う事や、過去に作ってラミネートしたものの使用を許可してくれていました。でも不器用な自分、レイアウトに悩んだり、サイズが小さくてどうしようと悩んだり、色は何にしようかと悩んだりと段取りができてなかったんですね。そのせいで毎日10時まで残業。うちに持ち帰ってもできないタイプなので、持ち帰るもののちょっとでダウン。悪循環ですねー。そのうち身の回りのことにも支障が出だして、主任保育士に注意される始末。またベテランの保育補助から主任保育士があなたのことで保護者からクレームを受けていると言い出す。主任保育士とシフトが被らないので具体的に誰に何を言われ、何を治していいかわからなくなる始末。さあここからです。発達障害のおじさんの戯言に核心に近づいていきます。

 

2〜3歳児を主に担当し、基本1人。人員基準を上回ることしばしば。当然個々の子の様子と集団の様子。一気に見ます。マルチタスクですねー。乳児と違いできる事も多いのですが、集団行動とはなんぞやな子も多い。それを1人で見る。できないことに焦り、ストレスが溜まり、それが原因でまたできないことが増える。火の消し忘れなどの危険なミスが出る。前より酷い。念の為退職を考慮して地元の精神科に再度発達障害の検査に行きました。そこは前のクリニックとは全然違う検査をしました。明確に診断書はもらってないけどADHDASD・二次障害で躁うつ病(今は双極性障害って言うんでしたっけ)と診断されました。そのことを主任っ保育士に報告し、その年の3月で退職を申し出ましたが、規約上3月には退職できない。でも子どもたちと関わらせるのは危険だから、保育補助的な仕事をしてと。法律上退職可能でしたが、保育士もいませんでしたので、施設維持の人数上の観点から残ることになりました。そこからどんどん保育士を集め始めたのです。できるなら早くやれよと本当に思いましたね。院内保育所の所長でもある看護部長とも話をしました。半年待つ、それまでに辞められる体制を作ってくれと。部長は了承してくれましたし、自分のことを気遣ってくれました。しかし保育補助は態度が変わりましたね。あたしたちの方ができるんだと言わんばかりに。こっちも言い返したかったですよ。俺がいなきゃお前らにやる資格なんてないんだぞと。もちろんそんなん事言いませんでしたけどね。1人の保育補助は、自分ともう1人の保育補助が相談してこれにしようといたものを当日勝手に変えました。自分の許可なく。ぶん殴ろうかと思いました。相談してね、手伝うからと言って、何もしなかったくせに。比較的普通に接してくれたのは非常勤の保育士と非常勤の保育補助1名、常勤の後輩にあたる保育補助1名でした。

退職日保育補助1名に「あなたが嫌いです」と面と向かって言われました。ちなみに態度を変え、自分で勝手に動いたのは同一人物です。常勤の先輩保育補助は主任保育士の腰巾着でした。おばちゃんと若い子でした。恨み言を言えば、若い子には3年保育補助やってて保育士試験受かんないってやばいだろ。学校行ったら?おばちゃんにはそんなにバリバリやりたいなら保育士試験受けりゃいいじゃん。引っ越す予定ないんだから地域限定免許だっていいんだし!主任保育士には発達障害の二次障害を引き起こした原因として今でも恨んでます。

 

正直最後は気持ちのいい文章じゃなかったですね。でもこれが院内保育士時代に同僚に思った事です。

 

当時主に担当してた子は2023年現在、小学校1年生かな。2度と会うことはないだろうけど健やかに楽しい学校生活や人生を送ってもらいたいと心から祈ってます。

 

また長文でしたね。まあ長文書くために作ったブログなのでご容赦いただければと思います。

今回もありがとうございました。

ちょっとした経歴を 社会人編2

こんにちは。あっきぃです。

 

前回障害者支援施設に就職するよってところまで書きましたね。

では早速。短大を卒業後、実習先でもあった知的障害者入所施設に就職しました。知的障害を知らない人は、怖いという印象を持つ方も多いと思います。突然暴れ出したり、大声をあげ出したりする方もいますからね。でもそれは健常者が千差万別なように、障がい者の方(以下利用者さん)も千差万別。障がいの重さも全然違いますし、知的障害だけの人もいれば、精神障害も併発してる人もいます。正直色々な人がいて楽しかったですね。障がいが軽い人なんかは話をしてると健常者と話をしているみたい。障がいが重く、発語しないで発声だけする人も、意思がきちんとあり、それを伝えようとしています。伝わらなくてもどかしい思いをしてることもあります。何もできないと思われがちですが、そんな事もありません。軽度障がいの人はグループホームで半分自活のように生活しています。もちろん支援は必要ですが、金銭管理や服薬管理、食事の準備などが中心です。自分の勤務していた法人のグループホームでは洗濯は自分でして干して、洋服を収納してましたからね。重度の障がい、特に強度行動障害と呼ばれる人たちは施設に入っています。施設内でも障がいの重い軽いはあるので、ある程度自分で出来る人、何もかもに介助が必要な人、暴力行為に走る人、自称行為をする人、破壊行動をする人様々いました。そして衝動を鎮静化するために、半数以上の人が毎食後安定剤を飲んでましいた。精神が昂らなければ、利用者さんたちは良くも悪くも幼いです。ごめんなさい正直うまい言葉が見つかりません。純粋といえば純粋、正直といえば色々な意味で正直。実習中に恐怖はなくなり、働いている時は楽しかったです。しかし利用者さんは強い鎮静剤を飲んでいる方も多く、側から見ればやる気のないダラーっとした姿に見える事もあります。実際やる気のない方もいないわけじゃないんですが、薬のせいもあったりします。自分も発達障害とわかり向精神薬を飲む立場になったからこそわかるのですが、強い鎮静剤なんか飲んでたら動きたくても動けません。でも施設の人間としては動いてほしい。そういう計画を立てている状態ですからどうにかしたい。自分はそこで発達障害の特性から、しなければならないと思い込んでしまい、活動になんとか参加させようと視野が狭くなってましたね。利用者さんたちは仕事じゃないんだから好きにしてればいいのにとどうしてそのとき思えなかったのか。正直なところルーティーンで動いていたので重度の障害を持つ利用者さんでも活動できてた面もありますしね。

 

自分は2年目から軽度障がいの方がメインの食品製作班(具体的な食品名を言うとどこの施設かわかってしまう可能性があるので内緒でw)に移動し丸2年その班で支援してました。もちろん軽度障がいと言っても差はあります。一番出来る人は自分と同じ位、場合によってはその方の方が詳しいなんて事もありました。そこにも障害者支援の面白さを感じました。もちろん火を使ったり、高熱になったり、包丁を使ったりすることは一切させませんでした。でも出来ることはたくさんあって、時には日頃やっている仕事をメンバーチェンジしてできることを増やす努力をしたり、自分たちで作ったものを自分たちで売りに行ったりと色々なことを、その班の利用者さんとはしてきました。売りに行くのはその班にだけ許された、施設外への外出でもあったので楽しみにしていたようですがw

 

また自分のいた法人では正規職員の生活支援員1人に対し2〜4名の利用者を担当して個別支援計画を作って支援していました。また作業班の人間に対しても作業部分は担当者ではなく、その作業班の人間が作成することになっていました。こうなって欲しい、これができるようになて欲しいなど色々な考えを持って計画するのですが、日々の雑務に追われ、計画通りの支援には至らず、日々のルーティーンをこなすのに精一杯になってしまうことがほとんどです。自分の担当者でこれはできたと言う支援は3年間ずっと担当してきた方の1件だけでした… またグループホームから通ってくる方の支援計画も立てる必要があり、それは1から全部でした。自分から言ったことなので後悔はしてませんが、グループリーダーが別の統括リーダーを兼ねていたため、同法人で2個の施設に勤務しましたが、支援計画・中間報告・最終報告全部作成するのは楽しかったですが、きつかったですね。

この支援計画に関わってくるのですが、ちょっとしたミスが続いたことがありました。また時間を気にせず、長時間作成をしてしまうことがありました。他の生活支援員は夜勤時などに済ませてさらっと帰宅しているのです。でも自分は夜勤時に多少やることはありましたが、集中して取り組むことができませんでした。1か100か。これも発達障害の特性ですね。この頃から自分は発達障害じゃないかと疑いだし、精神科を探し、発達障害対応とホームページに記載した病院へ受診し、発達障害が判明しました。精神科に抵抗がなかったのは生活支援員の仕事で精神科医とか変わることが多かった事、利用者さんの向精神薬に慣れてたことがあげられます。ちなみに今その病院は発達支援対応と書いてませんw

 

病院に受診して、ストラテラを処方されました。正直効果は薄かったかなと思ってます。でもコンサータの話が一度も出てこなかったので、処方する権限を持ってなかったのではないかと推測しています。そこでカウンセリングも受けましたが、効果が見出せませんでした。

 

転勤して同法人別施設に異動になり、8ヶ月ほどでトラブルを起こし、退職しました。

 

今回は2000字越えちゃいましたね。いつもながくてごめんなさい。

次は転職して院内保育所の保育士になった話から始めます。

ありがとうございました。