40代無職・発達障害のおじさんのただの戯言

Facebookでは長文になりやすいことをタラタラ述べていきます

ちょっとした経歴を 3

こんばんは。あっきぃです。

 

 今日は歯医者の予約を飛ばしてしまい、次回自分で日にちを決めて予約することになりました。整骨院も同様です。規則正しい生活が出来るのが理想ですが、まずは約束・予約をしっかり守れるようにならんといけないですね。これは服薬にも関わってくる問題で、きちんと時間をコントロールできないと薬飲めないんですよ。服用時間自由ならいいですけど、通常の薬って飲んだあと次の服用まで時間を空けなきゃならないでしょう。起きる時間がおかしくなると、最初の薬の服用時間がおかしくなりどんどんズレてく。そして最後の薬飲む時間がとんでもなくなってくる。その為怖くて服用しないこともあります。しかしそれは症状を悪化させる原因でしかないんですけどね。悪循環です。

 

 まあ話が飛びまくっておりますねーw ですが今の自分の悩みの大きなところです。

 

 本題に入ってまたダラダラ長いおじさんの経歴を書いていこうと思います。

 大学は文学部の人文学科というところに入りました。前回の記事でも書いた先生のようになりたくて、教育学部・教育学科と悩んだんですが、最終的には歴史学を学べて、中学社会・高校地理歴史・高校公民の教職免許が取得できるところを受験校に選びました。そひsて奇跡的に入学します。

 

 同じ学部には同じ高校からの人間はいなかったのですが、他学部になんと仲良くしていた友達が入学していました。2人とももっと偏差値の高い学校を志望していたので驚きました。そのおかげか、少し気が楽になって生活してました。ただ学部が違うこともありなかなか会えないこともしばしば。一人で過ごすことも多かったです。サークル勧誘週間だったのに声もかからない始末。これは寂しいですよねー。ですが運よく最終日に部員確保に追い込みをかけていたサークルに声をかけられました。もう誰でもいいから反応する人に声をかけようっていう作戦ですよね。見事に引っかかりましたw そしてその日が新歓飲み会の日。まあ説得されて、そのサークルに入部しました。ちなみに男声合唱団です。男性ではなく男声なので要注意w なおその合唱団には大学4年の終わりまでいました。大学卒業と書かなかった理由は後述します。

 

 中高は男女別学。男女とも受け入れるけどクラスは別だよという世界にいました。一部授業や特進クラスなんかは共学でしたが。その為同性だけで過ごす楽さを知っちゃってるんですよね。男声合唱団は文字の通り、歌う団員は男だけ。そう中高と同じ状況なんです。禅宗の僧侶が作った団なので、規則には厳しく上下関係もありましたが、自分の頃はだいぶ緩くなってきましたし、先輩たちは優しく厳しく指導してくれました。自分もそうしようとしましたが出来ませんでしたけど。ですが基本的には優しく、しかし厳しくするところでは厳しくするという気持ちは持ってました。同期がこれをみたら、「よくお前がそれを言えたなw」と大爆笑されそうですが。残念ながら自分の連絡不精のせいで同期とは連絡がほぼ途切れましたが、Facebookで偶然先輩と後輩と繋がり、去年だったかコロナがいっとき治った時に、先輩が経営されているブックカフェにお邪魔して飲み会をしました。オンラインで10年ぶりくらいに会う後輩もおり楽しかったことを覚えています。

 男声合唱時代は主に週3回・1回3時間、年末の定期演奏会に向けて練習する日々でした。春・新歓・夏・秋合宿と合宿もし、共同生活もしました。午前・午後・夕食後と1日9時間練習してました。そのも自主練習する毎日でした。自分は練習で体力無くなってできなくなることを心配し、自主練習せずに、消灯時間には早々に寝た口ですが。

 

 先ほど大学4年まで男声合唱を続けたとありますが、ここに今考えると発達障害が関わってくるのです。サークルにのめり込み学業との両立ができず、ほとんど単位が取れなかったのです。複数の予定をコントロールできず、サークルを生活の中心に置いてしまったが為、授業には出す、サークルだけ出る始末。まあ同期に置いてかれました。

 

 ダラダラ続けるのは嫌だったので同期と卒団し、学業に勤しもうとしますが、生活するためのバイトに追われるのと、大学の授業の受け方がわからず、理解はできるけど、知識の系統化ができず、なかなか講義に足が運ばなくなり、大学7年の前期の成績を見て卒業できない事が確定したので、大学を中退しました。大学は中退しましたけど、今でも歴史学は好きです。

 

 長くなったので今回はここまでにします。ここからは社会人編に入ってきます。今日いないと思いますがもうしばらくお付き合いください。