40代無職・発達障害のおじさんのただの戯言

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ちょっとした経歴を 社会人編最終回

こんにちは。あっきぃです。

 

就職ではないんですが、志望してた学校から不合格通知が来てかなり凹んでいます。1か100になってしまうのが悩みの1つですが、今回も不合格通知に自己肯定感ダダ下がり。正直かなりきついです。こう言う時に認知行動療法を実践してたら違うのかもしれませんが、した事がないのでダイレクトに自己嫌悪に陥ります。後述しますが就労移行施設に行っていた仲間たちが長く勤務を続けられている話を聞くと、なんで自分は出来ないんだろうと思ってしまいます。職歴も最長5年、ここ最近は1年程度で辞めているので、書類選考で落とされるんですけどね。かつてはMOSの取得寸前までPCは使えていたのですが、1年以上触っていないと忘れますね。復習してかつてのレベル、むしろそれ以上の能力をつけないと厳しそうです。資格は持っているに越したことはありませんが、自分のキャリアに役立つものでありたいですね。自分の保育士資格なんてもう紙屑同然。役に立ちません。健常者ならまだ役に立ったのかもしれませんが、発達障害者には無用の長物。本来なら当事者が支援することでわかる事もあると思うんですけどね。そんなところはありません。

 

今回は就労移行支援施設を経由した障害者雇用のトライアル雇用での勤務についてです。某駅伝で有名な大学の病院に障害者枠で勤務しました。もちろんパート勤務です。トライアル雇用なので面接は必ずあるのですが、雇用の段階でちょっと変わってました。面接前から雇用しようと思っていると言われ、面接も雑談で終わり、就労移行支援施設の支援員と首を傾げてし舞いました。年を追うごとに発達障害が悪化しているのか、ここでもうまく行きませんでした。

 

いろんな部署で勤務しました。トライアルの段階もあるのか、1ヶ月単位で部署が変わり、途中からは契約の週5から週3に勤務を減らされました。その時の上司は事務部長だったので人を使うのが上手で、気分よく仕事ができましたが。その後週5勤務に戻るかわりに、1つ前の部署に再異動。車寄せでの誘導の仕事を言いつけられました。しかしこれがマルチタスクADHDの人間にとって苦手分野。一つ間違えば事故になり怪我人が出る恐れが出る可能性がありました。上司にマルチタスクで事故につながりかねないから難しい旨を伝えました。その後特性考慮の上で入館者の検温要員になりました。まあシングルタスクですが、たまに問い合わせがあると後ろが詰まるので、先に誘導したり、覚えていることは簡単に説明したりしました。雨の日は傘袋の着用を促す事もありました。単純でわかりやすい仕事でしたが、生活支援員の仕事の時の様に自分で考えて、動いていく仕事ではなかったので、非常にやりがいがなかったです。今までの仕事で一番やりがいがなかったです。人間関係もどんどん悪化していき、他部署の方の方が良い関係が作れたくらいでした。仕事中に幻聴が聞こえ出し、追い詰められていきました。

 

上司も就労定着の支援員も休職・退職を勧めてきました。その時にはもうやめる気は満々だったのですが、給料の関係で、9月まで勤務すると失業保険の額が上がることを認識してたので、そこまでは我慢しました。ホワイト法人だったので4月に20日の有休を支給してくれていた関係もあり、前年度の有給と合わせて約1ヶ月の有給を経て退職しました。まあ退職後10日以内に渡すはずの離職票を2ヶ月も送って来ず、こちらからの督促で送ってくるようなちょっと変わった職場でした。

 

無事離職票が来て失業保険の申請をして、現在に至ります。2社に応募して書類選考落ち。学校に志願したが不合格。ここからどうしようか。悩みどころです。現役の学生だって何十社も受けてやっと内定をもらえるくらいなので、手にろくな職のないおじさんが内定をもらうのは困難だと思ってます。違う就労移行支援施設で技術をつけるか、公共訓練で技術をつけるか。正直これを書いている段階では頭が真っ白です。なんとか自分を維持するために、ブログを書いてる状態です。さっきも書きましたが、本当にどうしよう。

 

こんな状態で混乱してる状況で今回は失礼します。ありがとうございました。