40代無職・発達障害のおじさんのただの戯言

Facebookでは長文になりやすいことをタラタラ述べていきます

ちょっとした経歴を 2

またの機会にと言ってすぐの投稿です。ちょっと長いかなって感じたので。

 

高二で世界史の先生に出会った所からですね。その先生は非常勤講師の先生でした。まだ若い女性でおそらくは教育学ではなく史学を専攻されてたであろう方。高二の1学期はルネサンスからはじまったのですが、面食らう出来事が。イタリア、フィレンツェにある有名な大聖堂。知ってる方も多いかと思います。花のサンタマリア大聖堂です。だいたいの先生はこう教えると思います。ですがその先生、なんとサンタ・マリア・デル・フィオーレって教えたんです。もちろん間違いじゃないので問題ないんですが。その時この先生は高校の講師じゃ収まるタチじゃないと感じました。中国史の授業の時も、ごめん私専攻じゃないから最低限しかできないわ、と宣言されるほど。また母校ではプリント(レジュメとかお洒落に言ってましたがw)で授業するのですが、だいたいの先生がワークのコピーが多い、高三生だけ自作受験用プリント作る先生が多い中、PCも使うことがありましたが、主に手書きでプリント作ってました。簡潔だけどわかりやすいプリントでつい最近断捨離するまで持ってました。後述しますが、高二の途中でクラス替えに出くわすんですが、わざわざその先生のプリント貰いに行っていたくらいですから。そう長くなりましたがこのような先生になりたいと思ったのです。

 

先程触れましたが、到達度別クラス分けの為、偶然真面目に数学と生物受けてたらコース上位2名に入りました。非情ではありますが普通コースの上位2〜3名と進学クラスの下位2〜3名は学期途中でも入れ替えが発生します。その入れ替えに引っかかったのです。上位クラスにも友達は多少いましたので、生活の不安はなかったのですが、勉強のペースにやられました。そう進学クラスだから勉強してるものとして進んでくので、進度が早く得意な世界史以外はすぐに行き詰まりました。でも先にそのクラスにいた友人や新しくできた友人のおかげでなんとか、翌年も進学クラスに残ることができました。

 

なお高二でクラス替えしたばかりの時に修学旅行がありました。まあ友人もいて、その友人と合わせてグループになって行動しました。が大事件。修学旅行直前にインフルエンザの大流行。自分もかかりました。なんとか治して参加したんですが、まさかのぶり返し。長い思い出です。

 

高三はかなりのメンバーチェンジを経て、新たな生活が始まりましたが、実は友達と喋ってばっかだったイメージしかないんです。ろくに受験勉強しなかったし。大学進学するんですが、受験の時苦手な英語の長文問題でシロガネーゼってあったと思うんですがその問題が出たので、ろくに問題文見ずに答えました。世界史はおそらく90%以上獲得できてたと思いますし、国語は現代文は人並み、古文漢文はなんとなくで解いたんです。そしたら正規合格!他の大学全滅だったのに。もちろん進学しますが、楽しいことも辛いこともいっぱいな大学生活でした。

 

また長くなったので次の機会によろしくお願いします。