40代無職・発達障害のおじさんのただの戯言

Facebookでは長文になりやすいことをタラタラ述べていきます

ちょっとした経歴を 社会人編3

こんにちは。あっきぃです。

 

今回は院内保育所の保育士になったお話をします。

 

離職後7ヶ月間無職でした。その間2つの院内保育所に応募しました。1つは隣の市の200床いかない、介護施設が充実した病院。そこは落ちました。もう1つは隣県の大型医療法人の病院の1つで、2病院・1介護施設・その他があり、そこは内定をもらいました。ですがこれが地獄の始まりなのです。

 

保育士って男性が少ないです。その保育所も男性保育士を受け入れるのが初めてでした。施設の作りも男性が働くことを前提にしてない作りでしたから。離職後発達障害の症状がおさまっていたのと、医師への不信感から通院をやめていました。クローズドでの就職です。保育士の資格を持っていたとはいえ、保育経験はないいわゆる新卒と同じ人間。実習成績も低かったので、他の先生の保育を見て急いで学んで、使えるようにならなくてはと思っていました。しかし甘かった。そこの保育所、自分の入職日に退職者1名、2ヶ月以内に退職者2名。正規職員でいる保育士は主任保育士と自分だけ。非正規の保育士も午前中に1人だけ。あとは夜勤対応専門の非常勤保育士が2名。あとは資格なしの保育補助が2名。終わったと思いましたね。途中から非常勤の保育士が1名、常勤の保育補助が1名はいたけれど正規に変わりなし。非正規の先生の保育からいろいろ学びましたし、フォローもたくさんしてくれましたが、常勤保育士が自分だけになることが多く、責任者になることがほとんどでした。何をするのか考えるのも自分、何かあった時判断するのも自分。主任保育士は休みなので相談する事も叶わない。非常勤の先生には相談しましたが最終決定は自分。ADHDマルチタスク要求。それもろくに仕事の指導を受けていない人間がする。恐ろしいですね。非常勤のベテラン先生に相談した時外に出て遊んでくるのが一番よと言われ、子どもの体力消費・遊具で遊んで楽しむ・お散歩を楽しむと言う考えのもと、晴れた日は毎日公園へ散歩へ行っていました。

 

まあここでも出たよ発達障害の特性。毎回公園に行って、計画していたことをしなきゃとは思いつつも出来ない。今考えれば、制作の日を前もって決めておいてその日は外に出ないようにすればよかったのにしなかったんですね。また保育所って季節の装飾があるじゃないですか。主任保育士は負担軽減のため、保育雑誌のものを使う事や、過去に作ってラミネートしたものの使用を許可してくれていました。でも不器用な自分、レイアウトに悩んだり、サイズが小さくてどうしようと悩んだり、色は何にしようかと悩んだりと段取りができてなかったんですね。そのせいで毎日10時まで残業。うちに持ち帰ってもできないタイプなので、持ち帰るもののちょっとでダウン。悪循環ですねー。そのうち身の回りのことにも支障が出だして、主任保育士に注意される始末。またベテランの保育補助から主任保育士があなたのことで保護者からクレームを受けていると言い出す。主任保育士とシフトが被らないので具体的に誰に何を言われ、何を治していいかわからなくなる始末。さあここからです。発達障害のおじさんの戯言に核心に近づいていきます。

 

2〜3歳児を主に担当し、基本1人。人員基準を上回ることしばしば。当然個々の子の様子と集団の様子。一気に見ます。マルチタスクですねー。乳児と違いできる事も多いのですが、集団行動とはなんぞやな子も多い。それを1人で見る。できないことに焦り、ストレスが溜まり、それが原因でまたできないことが増える。火の消し忘れなどの危険なミスが出る。前より酷い。念の為退職を考慮して地元の精神科に再度発達障害の検査に行きました。そこは前のクリニックとは全然違う検査をしました。明確に診断書はもらってないけどADHDASD・二次障害で躁うつ病(今は双極性障害って言うんでしたっけ)と診断されました。そのことを主任っ保育士に報告し、その年の3月で退職を申し出ましたが、規約上3月には退職できない。でも子どもたちと関わらせるのは危険だから、保育補助的な仕事をしてと。法律上退職可能でしたが、保育士もいませんでしたので、施設維持の人数上の観点から残ることになりました。そこからどんどん保育士を集め始めたのです。できるなら早くやれよと本当に思いましたね。院内保育所の所長でもある看護部長とも話をしました。半年待つ、それまでに辞められる体制を作ってくれと。部長は了承してくれましたし、自分のことを気遣ってくれました。しかし保育補助は態度が変わりましたね。あたしたちの方ができるんだと言わんばかりに。こっちも言い返したかったですよ。俺がいなきゃお前らにやる資格なんてないんだぞと。もちろんそんなん事言いませんでしたけどね。1人の保育補助は、自分ともう1人の保育補助が相談してこれにしようといたものを当日勝手に変えました。自分の許可なく。ぶん殴ろうかと思いました。相談してね、手伝うからと言って、何もしなかったくせに。比較的普通に接してくれたのは非常勤の保育士と非常勤の保育補助1名、常勤の後輩にあたる保育補助1名でした。

退職日保育補助1名に「あなたが嫌いです」と面と向かって言われました。ちなみに態度を変え、自分で勝手に動いたのは同一人物です。常勤の先輩保育補助は主任保育士の腰巾着でした。おばちゃんと若い子でした。恨み言を言えば、若い子には3年保育補助やってて保育士試験受かんないってやばいだろ。学校行ったら?おばちゃんにはそんなにバリバリやりたいなら保育士試験受けりゃいいじゃん。引っ越す予定ないんだから地域限定免許だっていいんだし!主任保育士には発達障害の二次障害を引き起こした原因として今でも恨んでます。

 

正直最後は気持ちのいい文章じゃなかったですね。でもこれが院内保育士時代に同僚に思った事です。

 

当時主に担当してた子は2023年現在、小学校1年生かな。2度と会うことはないだろうけど健やかに楽しい学校生活や人生を送ってもらいたいと心から祈ってます。

 

また長文でしたね。まあ長文書くために作ったブログなのでご容赦いただければと思います。

今回もありがとうございました。